きらめく拍手の音

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我妻和樹(映画監督『波伝谷に生きる人びと』)

CODAとして生まれ、幼い頃からさまざまな葛藤を抱えながら生きてきたボラ監督が、映像という手法を用いてはじめて家族を対象化しようとしたとき、彼女は自分の中に 押し込めてきたネガティブな感情を声高に発するよりも、目の前にある両親の日常とささやかな幸せを丁寧に掬い取る道を選んだのであろう。必要以上に主張しない娘の距離感から映し出される夫婦のやりとりと豊かな表情は、観ていてなんとも微笑ましく、心地よい。映画を観る幸福と映像を観る喜びに溢れた作品である。

キム・ドンウォン(映画監督『送還日記』)

『きらめく拍手の音』にはいくつもの美徳がある。 中でも一番の美徳は軽やかで愉快な真摯さだ。 私はそれを"きらめく真摯さ"と表現したい。

古賀いずみ(カズン)

ラストのカラオケボックスのシーンは何度見ても泣いちゃいます。愛の告白とばかりに大声でラブバラードを歌う妻。タンバリンをたたいて盛り上げる夫。歌詞を坦々と手話で追いかける息子…。耳が聴こえなくても聴こえる音、聴こえないからこそ聴こえる音、聴こえる聴こえないを飛び越えてみんなで感じる音。すべてがないまぜになって、まさに〝きらめく音〟 が画面からあふれ出て来ました。私が、手話を習い始めたことは間違ってなかったと思えた、大好きなシーンです。

小谷忠典(映画監督『フリーダ・カーロの遺品 - 石内都、織るように』)

ろう者の夫婦が奏でるゆたかな生活音に耳をそば立てていると、 その音が、ふいにカメラを持つ監督を含めた登場人物の心情にうつり変わる時がある。 それは、身体世界を突き抜けて、精神世界に吸い込まれる映画的体験。

齋藤陽道(写真家)

手のひらを見る。ふと皺に見いる。あ、こんな皺があったのかと思ったり。手を、ぴっと振る。風が生まれる。ぴっぴっぴと連続して振る。手のひらが涼しい。ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ。連続して手を振りながら、そのまま眼のあたりにもちあげよう。

そのとき、手はきらめいている。

眼の前できらめく手を通して見える風景は、たとえどんなに見飽きた場所でも、どんなにイヤだと思っていた人ですらも、とても美しい夢の名残のような情景へと変える。
聴者のボラ監督は世界を巡ったのちに、最も身近にあった異世界に気づく。そして、両親に向けられた自分のきらめく手(レンズ)を通して、ふたりの強い愛でつむがれた世界を見つめなおした。 その世界に憩う時間は、とても幸せなものでした。

斉藤道雄(ジャーナリスト)

「ろう」や「手話」をテーマにした映像は無数にあるが、「きらめく拍手の音」はこれまでのどの作品も超えている。それはイギル・ボラの映像が一見ろうや手話を描いたようでいながら、その奥の人間存在を描いているからだ。しかもそれを誰も想像しなかった形で。なにしろ彼女は映像作家であるよりも哲学者だったから。 その彼女が「きらめく拍手の音」で真に迫ろうとしたのは、誰よりも早く大人になったひとりのコーダの姿だった。ニコラ・フィリベールの「音のない世界で」以来の傑作だと思う。

澁谷智子(成蹊大学准教授/『コーダの世界 ― 手話の文化と声の文化』著者)

間違いなく言えるのは、これは、このライフステージにいる監督だからこそ撮れたドキュメンタリーであり、もっと時間が経過すれば、こうしたみずみずしさと迫力をもって家族が描かれることはなかっただろうということだ。子どもが大人になっていく過程で、親に反発し、自分の道を見つけようともがき、いろいろあった末に自分のルーツとなっているものをもう一度確認しようとする、その軌跡が鮮やかに描かれている。

下村健一(白鴎大学客員教授/元・TBS報道キャスター)

渦の《外から中へ》撮りに行く旧来のドキュメンタリー映画とは逆に、
渦の《中 から外へ》放射してくる当事者発信の台頭。
そんな流れの中で生まれるべくして 生まれたのが、「きらめく拍手の音」だ。
CODA(Chirdren of Deaf Adults)だ からこその視角・距離・愛情・苦悩。
世の中で沈黙している数多の“CO▲▲”(Chirdren of ▲▲)たちが、
「この感覚、私だけじゃなかったんだ!」と膝を打つだろう。
その中の何人かは、次なる拍手の音を撮り始めるかもしれない。

中津真美・村下佳秀(J-CODA)

韓国も日本も、コーダ(聴覚障害のある親をもつ聞こえる子ども)と親の有り様は、とても似ていた。映画のあらゆるシーンに、私たちコーダが幼い頃から慣れ親しんできたリアルな日常が描かれていて、思わず笑ったりもした。この映画から、ボラ監督と弟という二人のコーダが、まだ幼い頃から、聞こえない親と聞こえる社会との間で、常に張り詰めた気持ちを持ち続けてきた現実が伝わってきた。この映画が、コーダを取り巻く社会を問う契機になれば嬉しい。

橋本一郎( 亜細亜大学客員准教授/聴覚障害児・者自己啓発グループ「ひよこっち」代表)

いわゆるろう者の日常がリアルに映し出されていて、今の僕には当たり前の光景。 とても賑やかで明るく、ハキハキとして、強くて優しい…。中でもホームビデオの映像が僕のお気に入り! でも手話を覚えたての30年程前の僕が観たら、どれもビックリしただろう。ろう者を描く作品はドラマチックなものが多い中で、何気ない一家族の日常を、 聞こえる娘の視線から描いた本作は、観た後にじわじわと、 なんとも言えないその魅力が広がってきた。

松森果林(聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐユニバーサルデザインアドバイザー)

いろんな境遇があり、いろんな子育ての形があり、子どもにとっては選べないものであっても、理不尽な思いをすることがあっても、カメラを通してひとつひとつを丁寧に紡ぎ、確認し、自分の道を模索していく過程がリアルに、みずみずしく描かれている。

丸山正樹(小説家『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』)

音声によるナレーションの代わりに韓国手話による語りが挿入される。 語り手であるイギル・ボラ監督は、「聴こえない親のもとに生まれた聴こえる子」=コーダだ。 娘が映し出す両親。ボラさんの視点によって切り取られるろう者の日常。
これは、コーダにしか描けない世界だ。その視点が、聴こえる者と聴こえない者を、韓国と日本を結ぶ。 両親がカラオケを歌うシーンがある。調子のはずれた歌に、リズムの合わないタンバリン。 笑いながら、涙があふれてくる。限りなくきらめく世界に、あなたを招待します。

渡辺一枝(作家)

私は音は耳で聴くのであって、目には見えないと思い込んでいた。けれども両手のきらめきは、目に見える音だった。手話が視覚言語だと知ってはいたけれど、その賑やかなおしゃべりを見れば、なんと豊かな声が溢れる世界だろう。そこはかとなく可愛らしい父親としっかり者の母親、ろうのその両親と聴者の世間を繋ぐ2人の子ども、姉弟。これは静かで深い、家族の物語だ。カラオケの場面が心に残る。

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